■ 理事長退任のご挨拶

[23年間、お世話になりました]
新しい春がたけなわです。。園庭の桜が咲いて散り、自宅の庭に辛夷がいっぱい花を開き、アケビの芽が今年も懐かしい風味を堪能させてくれました。春は毎年新しいものではありますが、今年の春の新しさは終焉を迎えたという意味の新しさです。終焉という新しさなどというのは表現としては逆説的です。ふつう新しさというのは何かが始まる、何かを始める時に使う言葉ですから。ここであえて終焉と新しさをつなげたのは、終焉を次の新たなステップにしていこうという意味を込めたからです。

いくつもの峠を越えてきました。峠に立つとき、これまで辿ってきたルートを確かめたくなるものです。何年か前その歩みの貧しさに深刻な打撃を受けました。このままでは自分が読みたいと思う本がほとんど読めないまま終わってしまう、それが強迫観念となって、ぼくは勤務日を一日減らしました。その日は本漬けになって過ごそう、そう決心して初めのうちは充実感がありました。でもそのうち、土日でない日は山が静かだなどということに気付き始めると、人間の弱さとでも呼ぶしかないようなものが出てきて、邪まな休日になってきてしまいました。
若い日に出会った、三木清の『人生論ノート』の「旅について」のなかで、人生は旅であると言い、どこから来たかはそのままどこへ行くかの問いとなるとか言っていました。 今年の入園式で、ぼくは理事長祝辞として、保護者に次のような話をしました。

子どもさんが入園することで、親子関係は新しい関係に入ります。これまでいつも気 が付けばママが横にいた。親子は一体となっているのが当たり前の姿だった。それが、 一定の時間、親子が離れなければなりません。ということは親子の絆が疎くなるという ことを意味するのでしょうか。全く逆です。お互いの存在は、離れることによっていっ そう近くなるという逆説が成立します。親子お互いの中で、それぞれが自然的存在から 自覚的存在に代わるのです。この新しい絆で結ばれた新しい子育ての姿をこの幼稚園でしっかり心に刻んでください。子育てできる年月はいくらもありません。

真剣な気持ちで保護者に訴えました。ただ同時に、ぼくは毎年同じ話をしている、ぼく自身は成長していないという後ろめたい気持ちが、ぼくをとらえていました。ここから出てくるのは一種の自己嫌悪です。ぼくは少し長くいすぎたようだ、そんな思いが胸を灼きました。幼稚園から離れる時期が来ているということです。

そんな気持ちでここ何日か23年間を振り返っていました。それは輝く23年間でした。
昔読んだ漱石の『草枕』にこんな部分があったことを思い出しました。
春秋に指を折り尽くして、白頭に呻吟するの徒と雖も、一生を回顧して閲歴の波動を順次に点検し来るとき、嘗ては微光の臭骸に洩れて、吾を忘れし、拍手の興を喚び起す事が出来やう。出来ぬと云はば生甲斐のない男である。

漱石さん、ぼくはあなたの指標に合格できたようです。ぼくは、我を忘れて夢中になって、あるいは必死になって園児と関わってきた覚えがあります。それが次のフレーズを産みました。

[イワタはのびのび保育です]
ぼくは園児の欲求や意欲・意志をありのままに保証していきたいと思ってきました。それがお互いにぶつかり合ったりしたら、自分たちの力で解決を探っていけばいい(保育者が放任するという意味ではありません)。それが結果として、園児が自分を素直に表すことを可能にしたのでしょう。1945年までの教育は国に命をささげる国民を作るためにあるというような、一つの価値観に基づくものでした。教育は国民一人一人のためにあるのであって、国家のためにあってはいけないと思っています。子どもはいろいろな可能性を秘めて、自己実現の道を歩んでいく、自分を一つの道に限定する時期はできるだけ遅い方がいい、そんなふうに考えています。ぼく自身がいろいろ試行錯誤を重ねて今の道に自己限定してきたからでもあります。
早期教育、英才教育で自分の才能を開花できる人はわずかで、その陰にどれだけの人が挫折していくか、ぼくはそのマイナスを恐れます。教育を投資としてとらえれば、一握りのエリートを造ればいいということになります。中教審(中央教育審議会。文科省の諮問機関)ははっきりそれを表明していました。教育とは自己の可能性を可能な限り多彩に開花させることを保証するものでなければいけないと思っています。
結果的にそれが「のびのび保育」と評価されるものに結実した、そんなふうに考えると、ぼくが23年間関わってきた幼児教育は、それなりの意味を持ったと言えないでしょうか。自画自賛するようですが、実は保護者の方からもそれを積極的に評価してこの幼稚園を選んでくれたという話を聞くと、いまぼくはある満足感をもってこの23年間を振り返ることができるように思います。この方針を理解し支えてくださった保護者の方々に今心から感謝の意を表したいと思います。長い間ありがとうございました。
そして、その僕にいつもにこやかに「遊ぼう」と寄って来てくれた園児たちにも、ありがとうの意を伝えたいと思います。君たちはいつも輝いていた。悲しみの涙を流しているときも含めてです。君たちはぼくにかけがえのないものを残してくれました。本当にありがとう。これからもずっと応援しています。

[理事長コラム『幼子とともに』も終焉です。ありがとうございました。]
始めがあれば終わりがある、そんな感慨に浸っています。以前にも書きましたが、ホームページを立ち上げてくれたアッチャンの勧めで始めたコラムでした。こんなに長く続くなんて想像もしていませんでした。同じような内容を書いてしまったこともありますが、それもその時の問題意識が現れたと受け取っていただければ幸いです。これをそのままホームページから削除すればそれでおしまいなのですが、アッチャンは本にしろと言ってくれます。自己満足的なものになってしまいそうなので、今迷っています。
ともあれ、これまで読んでいただいて本当にありがとうございました。思いがけない方から直接「もう身体は大丈夫なのですか」と気遣いの言葉をいただいたり、遠くの方から読んでいますなどの反応を戴いたりと、それが励みになって15年も書き続けることができました。最後にお礼を申し上げて終焉のご挨拶とさせていただきます。もう一度、ありがとうございました。


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■ 春3月、いろいろありました

[我が家の愛犬の初彼岸です]
前号で今年は庭のフキノトウが一つも芽を吹かないと書きました。3月に入って雨が降り、10日前に一斉に頭を出してきて、待望の天麩羅味わうことができました。昨年春の終わりに行ったスキー場で山ほど取ったフキノトウは蕗味噌となって、酒の友となってくれていましたが、3日前にとうとう終わってしまいました。。フキノトウに続いて、ヤブカンゾウがわっと生えてきて、かすかな甘みを持ったお浸しが食卓を飾ってくれました。辛夷も花を開き始め玄海ツツジも満開となって、いよいよ春本番の到来です。雨が降らないのは地球温暖化の影響かと思ってはいるものの、とりあえずは安心しました。
今日は春彼岸の中日です。我が家の愛犬の初彼岸ということもあり、墓参の後、ビールの献杯をしました。帰宅すると小屋から出て柵の所まで出迎えてくれた犬の姿はもうありません。空の高いところから、ぼくの方を見ているでしょうか。

[卒園式が終わりました]
音楽遊戯会が終わった次の週から風邪の症状が出始め、さらにその翌週の火曜日の夜に入って急に高熱が出始め、夜間診療の病院に駆け込んだところ、鼻膜を採取され、インフルエンザと告知されました。
薬(タミフル?)が効いて、2日で熱は下がったのですが、5日間は人前に出てはいけないとのことで蟄居せざるを得ませんでした。幸い卒園式に間に合ってほっとしました。
ただ、インフルエンザからは解放されたものの、風邪の症状が残って、また病院にお世話になってしまいました。抗生物質、咳、鼻水、喉と4種類もの薬を処方されて、服用するのに一苦労です。お陰で、雪のあるうちにと思っていた山行がいつ実現するかと、それが気がかりの日々です。

 卒園式は例によって胸がいっぱいになるものでした。入場時の曲は長い間ヴィヴァルデイの「四季」のうちの「春」だったのですが、今年は(今年から?)子どもたちが選んだ曲になりました。ヴィヴァルデイは格調が高すぎたのでしょうか。でも、子どもたちが選んだということであれば、大いに結構です。現在、学校では卒業式と言わず。卒業証書授与式といって、それは卒業証書を授与する式で、主体は授与する学校にあるという意味。その発想は、教育は国家のためにあるとする明治以降の教育観と同じものです。それに対して、卒業式という名称は卒業する児童生徒を祝う会という意味で、主体は教育を受ける側にあります。かつて教育権は国家にあるのか国民にあるのかということが論じられた時代がありました。これは、教育は国家のために奉仕する国民を作るものという権力側にノンを突き付ける形で提起されたものです。
岩田学園の卒業式はもちろん子どもたちとその保護者を祝うためのものです。子どもたちの前途を祝福し、幸多きことを祈る会であり、離れることによって近くなるという逆説を体現した保護者を祝う会でもあります。

たくさんの毎日をここで過ごしてきたね
何度笑って、何度泣いて、何度けんかをして、
サヨナラぼくたちの幼稚園、ぼくたちの庭
この次ぼくたちが来るときは、ランドセルの一年生

サクラ咲いたら一年生 帽子は似合うかな
隣に座る子いい子かな 友達になれるかな
ねむたくなったらどうしよう 勉強もするのかな
誰でも最初は一年生 一年生                           どきどきするけど ドーンと行け                         ドキドキドン一年生 ドキドキドン一年生

卒園児たちは大きな口を開けて歌っていました。


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■ 春を待つ日々 

[マンサクが精いっぱいの花を咲かせました]
昨秋、季節をたがえてマンサクの花が咲いたことをこの欄に書きました。いま春の気配が濃くなってきて、その花をつけた主幹は、芽も膨らまず、真っ黒な幹のまま静まり返っています。でも、気づいてみると下から別れた枝に、昔の儘の花がついているのです。いっぺんにすべてが枯れてしまうのではなく、命をつないで、そのうえで自らの命を終えていく、それは見ていて辛くなる光景でした。長い間ありがとう、そっと呼びかけました。昨日まで、新しいマンサクを求めてこようかと考えたりしたことが罪悪感をもって浮かんできたりもしました。命ってかけがえのないもの、枯れるからと言って他の木に替えればいいというものではない、30年も一緒に生きてきたんじゃないか、後から後からいろいろな思いが浮かんできて、その枝に手を置いたまま、ぼくはしばらく身動きできませんでした。
生きるということは、一人の営みではない、家族のみでなく、犬とも心を通わせあい、草木にも呼びかける、そのうえで仕事をし、沖縄の人たちと連帯し・・・そういうものの総体が生きるということなのでしょう。願わくはその総体の中に雪山のカモシカとの交歓や、バッハのマタイなどへの没入なども入れられればうれしい。
ただ、今年残念なのは、フキノトウが一つも姿を見せないことです。先日45日目かに雨が降りましたが、地面はカラカラです。フキノトウは地面の下で戸惑っているのでしょうか。春は物を思わせる季節です。

[負けて泣く園児のこと]
幼稚園にはいろいろな遊具があります。園庭だけでも10種類以上にのぼります。この時期になると一人遊びの遊具よりも皆でわいわい集まれるリングブランコなどの方に人気が集まります。さらに人気なのが、遊具でなく、ドッジボールや中当てボールやいろいろなルールを持った追いかけっこなどです。お友だちと関わることの楽しさが人気のもとになっています。幼児は遊びを通して成長するというのがはっきりと分かります。もっと言えば、集団遊びを通してというべきでしょうか。
先日の保育参観で、制作をテーマにしたクラスで、最後に、作ったものでゲームをやったクラスがありました。クラスを二分して競ったのですが、負けたグループの男の子ひとりが母親の懐にすがって泣き出しました。負けたことが悔しくて泣くのです。テニスやサッカーや将棋のようにスキル度で競うゲームもあれば、じゃんけんのように確率として半々のゲームもあります。前者であれば、負けたということは相手の力が上回っていたということだからそれを認めるしかない。後者も自分の力で左右できるものでないという意味で負けたことを悔しがっても仕方がない。そう考えるとゲームに負けて悔しくて泣くというのはないことになってしまいます。それでも泣くというのはなぜなのか。これは憶測ですが、勝つことに意味があって、負けたら価値がゼロになるという見方がしみ込んでいるからではないでしょうか。あるいはお家で負けるという経験をしたことがない、あるいはおうちで頑張って一番になれと何かのたびに声をかけられている。そういう子は負けるということに免疫ができていません。あるいは負けるということの意味が分かっていないということでしょうか。
鬼ごっこで鬼になると悔しくて泣いて鬼ごっこから抜けてしまう。ドッジボールで当てられると悔しくてやめてしまう。、これではゲームが成り立ちません。お家で王子様として育ってきた子が、集団生活の中で負けるという経験を重ねて、自分が他と同格の存在だと認識し、始めてゲームに熱中できるようになる。これは人間関係を作る上でも大きな成長となります。
ゲームは戦争とは違います。負ければ自分の命が、あるいは自分の愛する者の命が奪われてしまうというのはゲームにはありません。サーブを2本できるのはそう決めたからで、別なルールもあり得る。そのルールの中で競うのだからと考えれば、悔しくて泣かなくていい。幼稚園児には、精一杯やればいいんだ、一番でなくてもいいんだと言っています。甲子園の高校球児が負けて涙を流す姿に感銘を覚えるのも確かなのだけれど、あれは単に負けて悔しいというだけの涙ではない、今までの長い苦難の時間がここで終わった、自分たちは自分たちの青春を完全燃焼した、よくやったという愛惜の気持ちが混じっていると思うからではないでしょうか。

それにしても園児の遊びは面白い。遊具本来の遊びかたとは別の遊び方に人気が集まります。例えば鉄棒。卒園するまでに逆上がりをマスターしようという目標の下に頑張る姿、それもお友だちに支えられての頑張りであることはもう前にこのコラムで触れました。その鉄棒を鉄棒渡りとして使う遊びです。綱渡りの綱が鉄棒になったのでこういうのですが、意表を突いた使い方なので、これを始めるとわっと列ができます。初めは理事長の手に縋りついてこわごわ進むのですが、靴の先を進行方向に向けることができるようになると、自信をもって足が交互に前に出ます。高さの感覚を養うのに有効だと思っています。集中力を持続させないと足を踏み外して痛い目にあいます。それを知ることも一つの学習でしょう。
例えばの二つ目は、竹馬。本来竹馬は足の指でポールを抑えなければむつかしい。現在園児は靴を履いているので竹馬に挑戦する子はいません。でもこれを一本だけ持ち出して、足を置くバーにまたがらせてポールにつかまらせ、ぐるぐると回転させると、これも列ができます。回転は最大10回。初心者は5・6回で目が回ります。歩こうと思っても歩けない、行こうと思うところに行けないなどと悲鳴を上げます。地面にへたり込んでしまう子もいます。でも慣れてくると、スピードを上げて回転させても大丈夫になります。フィギュアスケートの選手があの回転に耐えられるのは、視点の使い方だと言いますが、それでも訓練で慣れることが必要でしょう。慣れてくると何度も列に並んで待ちます。あまり回数を重ねるといけないので、3回以上はだめと言っています。回転の感覚を経験させたいと理事長は手のひらが真っ赤になっても頑張っています。
ほかにも、総合遊具の横にザイルを張ると、これも園児がいっぱい取り付きます。ふだん遊具を訪れる数とはけた違いです。あるいは、遊具を運ぶリヤカーに乗って運ばれるのも園児は大好きです。
これらは、どれもみな遊具本来の使い方と違う点が目を引くのでしょう。園児の好奇心の強さに驚きます。これはこういうものだという認識で済ませていたものが、ある時突然形を変えて目の前に現れる。それは目を見張る新鮮さをもって映るのでしょう。外界を常に好奇心を持って眺めること、そんな癖がつくとこれからの人生がより豊かになるのではないかと、楽しみになってきます。

[本庄東幼稚園のクヌギ・ムク・サクラの枝下ろしをしました]
幼稚園のクヌギは見事です。高さは10メートルを超えてまっすぐに空に向かっています。成長する幼子を見守るかのごとき雄姿は魅力的です。園児にとってはそれよりも夏の樹液に集まるカブトムシやカナブンが集まる樹として関心があり、夏の朝は大勢の園児が木の下に群がっています。夏の強烈な日差しを遮って暮れる頼もしい味方でもあります。
 写真にあるように天を衝く枝はここ7・8年で伸びたものです。その時もすでにぼくたちの手には負えず、クレーン車に登場してもらいました。樹齢は50年にもなるでしょうか。まだまだ元気でどんどん背を伸ばします。台風の時など枝が折れてご近所に迷惑をかけないかと気をもむ状況になって、とうとう今年枝を下ろすことにしました。理事長の同級生がこういうことを手掛けていて、高いところの枝下ろしをするプロを連れてきてくれました。見積ではなんとか1日でということでしたが、ムクノキの50cmもある主幹も切ったりしたので丸2日、真っ暗になってやっとクヌギとムクが終わりました。明日の土曜日は伐り落とすだけで精いっぱいだった幹の片づけとサクラをやります。
感心したのは、プロの腕前です。5メートルも上から3・4メートルある枝を伐り落とすのに、隣の家に倒れ込まないか、遊具の上に落ちないかなどと心配したのですが、まっすぐ下にどしんと落としました。ムクの主幹も地響きを立てて垂直に落ちました。倒すときも1メートルの幅の隙間に倒しこむことができるのだそうです。長い間の手練というべきでしょうか。職人技というのはこういうことかもしれません。
今、なんとも哀れな格好で立っている樹を見上げて、早く緑の葉が出てくれと待っています。


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■ 日常が戻りました

[大寒です]
大寒の夜は凍り付くような満月で、庭が昼のように明るく、わが愛犬も戸惑っているようでした。
幼稚園では先生が前の日に、たらいに水を張っておきました。大寒二日目の朝、思惑通りに1cm以上もある厚さの氷が張りました。手で割ろうとしてもなかなか割れないほどの固さです。園児たちは大喜び、年長・年中児児は昨年も経験していますが、年少児はほとんどが初めてでしょう。顔の何倍もある氷を持ったところをスナップで保存しました。
面白かったのは、園児の表情の違いです。肖像権の問題や個人情報であることなどから、ここにお見せできないのが残念ですが、嬉しそうな年長・年中組に対して、年少組の表情がみな固いのです。
経験したことのある年長・年中児は、氷というのはこういうふうに張るものなんだと確認したのでしょう。年少児は天然に張った氷なんて今まで見たことも触ったこともなかったのではないか。そんなことを想像させます。自分の中で納得して安心して遊べるお兄さんお姉さんと違って、何か得体のしれないものを持たされているという思い。説明できない自然の摂理を前にして人類は初めはみなこんな表情をしたのかもしれないなどということまで思わせる表情でした。お家の中で安全なものに囲まれて暮らしている幼児が、初めて体験した天然氷との出会いでした。

年長児が砂場用の金属スプーンで園庭を掘って小石を掻きだしています。何をやってるのと尋ねたら石を見て名前を調べているのだそうです。年長組の保育室にはフレーベル館の自然シリーズもあってその一つに「石」という1冊があります。。安山岩や砂岩などの名は覚えたようです。ここでもまた新しい世界が開けようとしている。ぼくは70年前の昔、それまでトンボと呼んでいたものが、シオカラであったりカワトンボであったりオニヤンマであったりということを知った時の興奮を思い出しました。

[草食動物に草をやってはいけない!?]
うさぎはさみしがり屋だから1羽だけで飼うと早く死んでしまう、そんな話を読んだか聞いたかしたので、本庄西幼稚園も本庄東幼稚園も2羽で飼うようにしました。本庄西幼稚園では1羽が死んでしまったので1羽だけがもうずいぶん長く生きています。でも、2羽を一緒に飼うと喧嘩して弱い方は可哀想なのです。本庄東幼稚園では、ストレスがたまったのか部分的に体毛がぬけてきてしまいました。止むを得ずべつべつにしました。目も傷つけられたようで、もう2年以上獣医さんに薬をもらってきたのですがよくならず、別な獣医さんに診てもらいました。話はそのことです。
ぼくは時々庭の草をとっていってプレゼントしています。その朝も用意していきました。先に来ていた園児が目ざとく見つけて「草をやりたい」と集まってきました。そこへ二人の先生が走って来て「くさをやってはいけないといわれました。」というのです。野菜もキャベツはいいけれどにんじんはいけないとか。ぼくが持ってきた草は、タンポポの葉とノゲシの葉で、うさぎやヤギが好んで食べるものです。うさぎは昔から草しか食べないのにと、少々あっけにとられてしまいました。ラビットフードも今までのはだめで、その獣医の所で売っているもの以外はいけないとのことです。
聞いているうちに、中国の史書を思い出しました。古代中国では新しい王朝が始まると前の王朝の歴史を書きました。自分の王朝を正当化するために、打倒した前王朝を悪逆非道なものとして描くのだそうです。
まさかそんなことはあるまいがと、自分の疑念が「下司の勘繰り」でないことを祈っています。

[こんな会話ができる、教育に関わるものに許される幸せです]
学期一回の保育参観の最終回が進行中で、本庄西幼稚園が今週の月・火曜日でおわりました。朝の園庭集合が終わって保護者も一緒に保育室に入りました。たまたま隣同士になった理事長と保護者のひそひそ話の一つを。
理「○○君、ここへきて大きく変わったでしょう。」
保「本当に大きく変わりました。いろいろ話をするようになりましたね。」
理「話すときも大きな声で話すことができるようになりました。」
保「どうして? どうして?と疑問をぶつけてきます。いろいろなものに関心を持つようになってきました。」
理「一年というのは大きな意味を持ちますね。」
保「ほんとうです。」


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■ 新年おめでとうございます

小林一茶は、 めでたさも中くらいなりおらが春 と読みました。能天気に「おめでとう」とのみ言える人がどれくらいいるでしょうか。個人の問題にしても、幼稚園の問題にしても、政治経済の状況にしても、問題がいっぱいあって、今年もしっかり目を見開いていかなくてはと、屠蘇を呑みながら考えました。今年もどうぞよろしくお願いします。

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今年の賀状の絵です。しばらく「山のスケッチ」シリーズでいこうかと思っています。今年の絵は苗場山頂上を描いたもの。この絵にはある因縁があります。
何年か後の事、たしか安達太良くろがね小屋の夜だったと記憶します。ぼくのスケッチブックを開いた小屋の従業員の若者が、この絵をくださいといきなりこの2ページを引きちぎってしまいました。ぼくは予期しない事態にびっくりして、怒ることも忘れていました。我に返ったぼくは、冗談じゃない駄目だ、と言って取り返そうとしました。押し問答を見ていた他の従業員がくちぐちに「返せよ。」と言ったので、不承不承ぼくに差し出しました。若者は小屋に飾るつもりででもあったのでしょうか。罪の意識などない顔つきでした。
草紅葉の苗場山頂を描いたこのスケッチをぼくは気に入っていました。それもあるけど、この絵は、麓から歩き始めて最後の急登を登り詰めた後、目の前に広がった広大な湿原に息をのんだ情景であり、翌日此処を横切って赤湯の急坂を走り下った、そんな思い出が込められた1枚なのです。絵だけ見て気に入ったからと言って、そこに込められたいろいろな思いなど分かりはしません。今思い返しても若者のとった行動は失礼だったと思っています。
売るためでなく、人にあげるためでないスケッチがもう5冊たまっています。彩色していないものが多いのですが、何年かは賀状に使えそうです。見ていただけると嬉しい。

[昨年の収穫のひとつを]
個人的な問題として、ここに一つ定着しておきたいことがあります。ぼくは現在、市民の方たちと古典を読んでいます。万葉集と平家物語と方丈記です。方丈記は最後まで来ました。2月から奥の細道に入ります。
ここで定着しておきたいというのは、平家物語の問題です。源氏と平家の覇権争いについて、高校以来、平氏が源氏に追い落とされたのは、平氏が公家化して軟弱になってしまったからだと学びました。 ぼくが平家物語を初めて通読したのは、大学1年の夏休みでした。ぼくはたちまち平氏のファンになってしまいました。そこには、平氏が軟弱となって滅びたというイメージは全くありませんでした。新中納言知盛や能登殿と呼ばれて一門から頼りにされた教経など、戦って負けたことのない武将たちが、運命の糸に手繰られるように滅びの淵へ追い詰められていく。自分たち一門の運命を自覚しながら、決してそれを受け入れようとしない姿が美しく見えてくるのでした。教科書で断片的に学んだ平家物語のイメージとは全く異なるものでした。となると平氏はなぜ滅んだのか、以来ぼくにとっての課題となっていました。
平氏は清盛の父忠盛の代に殿上人となり、清盛が棟梁となると娘の徳子を高倉帝に送り込み、安徳天皇を誕生させ、外戚として権力をふるおうともくろみます。これは平安貴族のトップを握った藤原氏のとった戦略です。これが公家化したということでしょうか。
でもそれでは、関東平氏が秩父平氏をもとにして畠山・川越・江戸・上総と勢力を拡大しながら、最後の所で皆鎌倉側についたという歴史的事実が説明ができません。
公家化したというのが、和歌や蹴鞠や恋愛ごとにうつつを抜かしていたから戦闘の態勢に怠りが生じたという解釈はもっと誤解です。武蔵の守知盛、能登の守教経初め平家の武将は、平氏の武将としての力は源氏に決して劣っていません。
また、平氏は西海に基盤を置いたことで、対宋貿易で巨万の富を築きます。経済的な力が軍事力につながるのは明らかです。
では平氏が源氏に追い落とされてしまったのはなぜだったのでしょうか。
ぼくは平家物語を3回通読しました。3度目に、きらりと光るものにぶつかりました。これが平氏の公家化したということの具体的姿だったのか。ぼくは興奮しました。

長くなって恐縮ですが、肝心なところなので原文を引きます。巻第七「平家北国下向」(新潮日本古典集成)の後半の一節です。

大将軍には小松の三位の中将維盛…都合その勢十万余騎、寿永二年四月十七日の     午 の刻に都をたって、北国へぞおもむきける。
平家は片道を賜ってければ逢坂の関よりはじめて、道にもちあふ権門勢家の正税、官物ともいはず、いちいちに奪ひ取る。まして滋賀、唐崎、真野、高津、塩津、海津の辺を、いちいちに追捕し て(=没収して)通りければ、人民多く逃散す。

北陸路へ向かう集落の年貢や収穫物をはじめすべての物資を奪い取っていくことを朝廷から許可されたというのです。
これは、平安時代の受領(国司)がやったことと質的に同じです。土佐日記で海賊におびえて船旅を続けたのは、任国で収奪してきた財物が船いっぱいに積まれていたからです。あくどいやり方を見られないようにと、都へは夜を待って入ります。また今昔物語でも、同じく任国で収奪してきたものを馬の背に載せてその列が延々と続くさまが描かれます。受領にとってある国に任ぜられるということは、その国の農民の暮らしを保証することでなく、その国の正税のみならず、すべて奪えるものは奪ってしまうということでした。一度受領になれば十年は安泰に暮らせると言われたのはそういう意味だったのです。もちろん例外的に更級日記の作者の父親のようにあくどいことのできなかった受領もいたでしょう。
しかし、受領とは本質的に農民を収奪する存在でした。受領は農民の敵だったのです。
平氏は、それと同じ姿をここで示しています。戦闘に駆り出される諸国の農民が、命をかけて戦うでしょうか。源氏との違いがここに明らかになります。
源氏の側では

大名はわれと手をおろさねども、家人の高名をもって名誉とす。われらはみずから手をおろさずはかなひがたし。

とあります。自らの命を懸けることが自分の一族の命が保証されることになるという生き方が、源氏の軍勢を支える強さになります。平氏との違いです。

ここから平氏が公家化したことという意味が見えたのです。平氏が公家化したということは平氏が受領と同じ立場で農民にむかったということだった。農民の敵となった平氏は、農民(たちから成長したもののふたち)と運命共同体を作った源氏と違う道を歩んだのです。平氏が追い詰められていった根本的な理由というのがここにあったと、長い年月の課題がやっと解けたという気になって、ぼくはうれしくてたまりませんでした。

今年の初めに昨年の記憶を定着したいと思ったのはこういうことでした。コラムにしては長すぎ、論文にしてはその体をなしていない。そんなものではあっても、ぼくにとっては一度は書かなくてはならないものでありました。お読みくださった方があったとすれば、これ以上の喜びはありません。


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■ 今年も年の瀬を迎えることができました。ありがとうございました。

[おもしろいデータを見つけました]
岩波ブックレット『保育園は誰のもの』(2018.1.10)所収のデータです。
2000年にノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマン教授が、1967年から始めた研究です。古いように見えますが、その後40年も追跡調査を行ったのでようやくその結果が出たのです。対象は3-4歳の子ども68人です。三つの異なるカリキュラムモデルの教育に参加させました。三つのモデルとは次のようなもの。
①子ども自身が自分の活動を計画し、実行し、振り返ることができるように教師が保                          育環境や日課の準備をし、また、大小のグループ に参加して個人的発達にとって      重 要な体験ができるように助ける教育手法。
②伝統的保育モデル。緩やかに構造化された、社会的に支援されるような環境の中   で、子どもが自ら取り組む遊びに教師が関わる教育 手法。
③教師が計画に沿って直接、学力を上げる指導をし、教師の質問に対して正解した子 どもをほめる形で進める教育手法。
10歳時点の追跡調査では、③のグループが他のグループよりもIQで高い値を示しましたが、その後の学校教育での到達度は三つのグループに大きな違いはありませんでした。一方、23歳時点の追跡調査では、情緒障害や学校での問題行動、逮捕歴、ボランテイア経験、学歴ないくつもの社会的行動に関する指標で、③のグループは①②のグループよりも劣る値を示しました。この研究の紹介のしめくくりには、③は学校教育への準備としては近道であるように見えるが、この学力の一時的向上は、長期的な観点からの社会性の発達を犠牲にしているように見えると述べられています。
ヘックマン教授は、このような研究成果を踏まえ、人間の能力を認知能力と非認知能力に分け、非認知能力の重要性について注意を促しました。認知能力・非認知能力とは次のようなものを言います。
認知能力:知能指数、学力など計測可能な力
非認知能力:やりぬく力、意欲、自制心、協調性、社交性、自尊心など

読み進めて行って我が意を得たりという感じでした。ぼくの幼稚園で教育方針として目指しているものが、ここでいう非認知能力だからです。じつはこれと同じ研究を以前新聞で読んだことがあり、このコラムに書いた覚えがあります。学力はそれを受け入れる態勢ができてからの方がいい、(文字練習は単なる学力の問題を越えるものがあるのでしっかりと取り組んでいますが)、今はしっかりと非認知能力を身につけよう、改めてそう確信しました。

[園児全員がお友だち宛にお便りを書きました]
    年長児のひとりが、「りじちょうせんせい」と言って絵手紙を持ってきました。頭の先から靴の色まで観察鋭くとらえています。金曜日の合同保育や、毎朝・おひるの前・昼休みなど、園庭は園児たちの元気な声が溢れます。この時期、年長児はドッジボールが盛んですが、ほかに鉄棒に取り組んだり、太鼓橋に張ったザイルに取り付いたりと、理事長も一緒に遊びます。時間が来ると「ああ今日も楽しかった」という顔で部屋に入っていきます。そんな表情がよく出ていて感心しました。
担任に聞いてみると、お便りは年長児だけでなく、全員が書いたと言います。え!? と驚くと、「もちろん満3歳児や年少児はまだ絵にもならないものですが。」との話。でも場合によっては、他のクラスまで行って「〇〇ちゃん」と相手の名前を言って手渡してくるのだそうです。まだ先生の名前も覚えられない年少児もいたとか。
自分が誰に渡したいか考えて手紙を書く――いいなあと思います。人間関係の新しい展開がみられるかもしれません。特に文字が読めて書ければ、相手と新しい関係が結ばれる。前項で書いたように、新しい世界の獲得、より深い人間関係の成立・・文字練習の持つ意味が示されたことになります。ぼくもこの葉書を大切にしていきます。

[花瓶をいただきました]
 ご夫婦で陶芸をやられている方が、「龍の絵を描いたので、龍の名前を持っているあなたにあげます。」と花瓶をプレゼントしてくださいました。白に近い明るいグレーの地色に紺で天女と龍が描かれています。上品な色合いです。よく見ると天女が団子を盛った皿を差し出していて、龍がうれしそうに眼を見開き口を開けています。如来や菩薩は男性でも女性でもなく性を超越した存在だと言います。でも天女は名前の通り女性なのでしょう。夢の中で会えないかなあなどと、仏罰に当たりそうなことを考えています。

今日はもう冬至です。振り返ってみると今年もいろいろなことのあった一年でした。年が明けたら雪山にはいってみたい、そんな期待を持っています。この一年、理事長コラムにお付き合いいただいた方にお礼申し上げます。よいお年をお迎えください。


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■ 色づいたさくらの葉とともに霜月にお別れ

[ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね]
群馬交響楽団の11月定期コンサートの解説で、団伊玖磨のある言葉が紹介されました。「私の著作権料の中では、『夕鶴』などほかのものを合わせたより、『ぞうさん』が一番多いんだよ。」と言って、アハハと笑ったというのです。ぼくのなかで『夕鶴』は、原作、オペラともに近代日本の文学・音楽のなかで第一席を占めているものなのです。「与ひょう、わたしを忘れないでね。わたしもあんたを忘れない。」のアリアをこれまで何度口ずさんできたことか。そんな『夕鶴』より童謡『ぞうさん』の方が収入源として大きいというのは、団伊玖磨ならずともアハハと笑うより仕方ないものではあります。
その『ぞうさん』はぼくの幼稚園で,園児が最初にうたう歌です。入園式の中で、園長の式辞・理事長の祝辞で緊張した園児の気持ちをほぐすために、先生たちが園児の中に入ってみんなで歌うのが『ぞうさん』と『ちゅーりっぷ』です。全国で歌われているのでしょうか。
    その『ぞうさん』について、作詞者のまどみちおがおもしろいことを言っています。「ぞうさん、お鼻が長いのね」というのは、「おまえは変なやつだな」という意味になるというのです。たしかに今の大学生気質として、皆と同じでないと不安だ、自分が集団の中で孤立するのはおそろしいと考える傾向が強いといわれます。小学生のいじめの原因も、他とちがっていることが挙げられることが多い。おまえみたいに鼻が長い奴はほかにいないぞ、といじめの口実にされかねないのです。
ところが、この子は「そうよ かあさんも ながいのよ」とはねかえす。どうだ、いいだろうという自信の表明でやりかえしたことになるというのです。この子はお母さんが大好きなのでしょう。お母さんと一体感が持てることが、マイナスの状況を乗り越える力となる。母親の存在の大きさが再認識されるというのです。
母親は子どもにとって心の基地であるといわれます。同じように父親も子どもにとってスーパーマンとなる時期があります。ただ母親の方が永続性があるようですね。これも群馬交響楽団の話になりますが、合唱指揮をしている音大の教授が、ある時しみじみと述懐しました。「私も息子にとってスーパーマンだった。何でもできて、何でも応えることができた。それが次第に色あせてきて、今は『親父は何にも知っちゃいねえ』となってしまった。」と。聞いていた皆はアハハと笑いましたが、これは突き放した笑いではなく、身につまされる所からくる共感の笑いだったと記憶しています。子どもたちはそうやって自立の道を歩いていくのでしょう。
じつは、ぼくは「お鼻が長いのね」がいじめにつながる言葉と読んだことはなかったのです。いじめに関するアンテナの感度が鈍いのでしょうか。ぼくとしては、かねこいすずの「みんな違ってみんないい」の見方に立っているゆえに、「鼻が長い」にそういう要素をみとめないと言いたいと思っていますが、甘いのでしょうか。

[逆上がりへの挑戦]
    本庄東幼稚園の門の両側に山茶花があって、今見事な花を咲かせています。いよいよ冬本番の到来です。この季節になると、毎年年長児が熱をもって取り組むのが鉄棒の逆上がりと縄跳びの1拍跳びです。クラスとして取り組んでおり、そうなると、さらに熱が入って、お家でも練習するらしく、達成率が高くなってきています。現在クラスで〇%がなどというと、余計なプレッシャーをかけてしまいそうなので言いませんが、できた時の嬉しそうな顔はいつも感動的です。しかもこの姿が年中児にも影響を与えており、年中児で逆上がりをマスターした子が何人もいます。集団生活の力だなと、応援しています。

[観劇]
11月28日、本庄東幼稚園のホールに集まっって、劇団灯の公演を鑑賞しました。人形劇、影絵劇、ミュージカルなどの年もありますが、今年は、演劇でした。、西瓜畑で明日の出荷を楽しみにしているおばあさんと、大きな籠を担いで侵入した西瓜泥棒とのドタバタ劇で、何かが心に残ったかと考えると、今一つ物足りないものはあったのですが、園児たちの反応はまた別でした。園児たちは夢中になってお婆さんを応援し、泥棒が西瓜を抱えて籠に入れようとするたびに「ダメ―」と叫ぶ。しかも場面が転換すればシーンとなって集中する。その反応に劇終了後、泥棒とおばあさんは、「こんないい反応を示してくれた園児さんはほかにいません。」と最大級の賛辞を示してくれました。「園によってはわーっと盛り上がるとそのまま収まらず、出演者はもう流れにながされるしかありません。昔は対抗して大きな声を張り上げたりしましたが。」とも話していました。普段、相手の話はよく聞こうねと事あるごとに話しかけている先生たちの指導が実を結んだと言っていいでしょう。最後、泥棒が謝って終わるのですが、終了後、悪いことしちゃだめだよと諭してくれた園児さんがいましたと、男優が笑いながら紹介してくれました。
ただ、人形劇などと違って、生身の人間の演技は迫力があります。最前列に座っていた年少児の何人かは、泥棒の姿に泣き出してしまいました。滑稽な赤ら顔にメイクアップしていたのですが。これもまたいい経験になったかと思います。

    霜月の終わりを迎えるある朝、園庭でひとりの年少児がやってきて、「りじちょうせんせい、・・・」と聞き取れないほどの声で語りかけてきました。何度か確かめると「おくりもの」と言っているのです。園庭の桜の葉を集めていて、そのうちの1枚をプレゼントしてくれたのです。こころがほかほかとなりました。寒い冬を乗り切れそうです。


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■ 子どもの幸福って

[夜寒の季節]
  秋祭りの太鼓の練習の音が聞えてしばらくすると、夜寒の季節になります。縁側で秋の陽ざしを足の先だけに受けて、本を読んだ子供のころを懐かしく思い出します。その秋まつりも終わって10日が立ちました。園児たちも何人も祭りに参加しました。遠い記憶の中では、昔は幼稚園児は参加できなかったようです。もう屋台囃子を叩くようになってからでしょうか。銀座通りから中山道に出る角を曲がる時の、ぐっと山車ごと傾いた感触をおぼえています。ふだんの餓鬼大将が、鼻筋に白粉をぐっと引いて、そのりりしい姿に見とれたことも。

[子どもの幸福って] 
 学生時代の同級生で、中国の大学で日本語を教えていた男がいました。同窓会で会ったりしたとき、向こうの様子を聞いてびっくりしたことがあります。
都市部と農村の格差の大きさはその一つで、それはぼく自身の体験から感じ取ったものと近いものでした。もう20年も前に中国を訪れた時の話ですが、西安の町で朝になるとおびただしい数の職を求める人々が集まってきて、職種別に集団となり、どこかへ向けて出発していく。残った人たちの中には「水道工事(ができる)」とかの自分を売り込むプラカードをもってたたずんでいる人がいたりしました。これは日本の高度成長期、農村から都会へ人々が出てきたときの情景と同じではないかと思ったものです。同級生の話では、今は農村から出てきても都市に定住することはできないようになっているとのこと。都市部と農村部の格差は固定化されてきているのでしょうか。
 もう一つ驚いたのは、中国の都市部では幼児教育というと受験勉強だということでした。一流大学を出て一流企業に入りエリートとなるためには幼稚園から勉強漬けにならざるを得ないということなのだそうです。一人っ子政策が、そういう状況をエスカレートさせているとも言っていました。

 実はこのたび、知人から「中国メデイア‐サーチナ」というサイトを紹介されました。中国のメデイアの中から、いろいろな部門ごとに関連する記事を集めて、日本語に翻訳したもののようです。その中に幼稚園関係の記事もいくつもありました。これが中国の幼稚園の状況をトータルにとらえているかどうかはわかりませんが、上に述べたことが現在さらにエスカレートしていると思わせるような記事がありました。その中の一つを紹介します。
   
   人口が多い中国は日本と同等以上の競争社会だ。都市部の親たちは「子どもたちをスタートラインの時点で  負けさせるわけにはいかない」 と口癖のように語り、子供に勉強をさせ、習い事をさせる。それゆえ幼少の  ころから勉強漬けの毎日を過ごす子どもは多いと言われる。

   記事はまず、日本の一般的な幼稚園を紹介し、運動の時間には「側転」や「跳び箱」、「逆立ち歩き」と   いったことも教えている写真と共に紹介。もし中国でこのような教育がなされていたとしたら、保護者の怒り  を買い学校に対し苦情が出ることや、教師が保護者から攻撃される可能性があると紹介した。
  
   一方で記事は、中国の子どもたちについて、ある小学校で開催された運動会では始まって1時間もしないう  ちに20人もの子供たちが倒れてしまったことがあることや、中国の18歳以下の肥満児は1億2000万人  もおり、12歳から18歳の子どもたちのうち1.9%もの子どもたちが糖尿病を患っていると紹介。学歴社  会が子どもの健やかな成長に悪影響を与えていて、知識を詰め込む形の教育を重視するあまり、子どもたちの  健康面の成長が疎かになってしまったと指摘し、「国が強くなるには子どもたちが強くなる必要があるよう   に、子どもたちが弱くなれば国も弱くなってしまう」と危機感を示した。

 紹介は以上です。中国が一人っ子政策をとった結果として、女の子が生まれると他人に任せて、新たに男子が生まれることを期す、という話も聞いたことがありますが、その裏として、男の子は王子様として甘やかされ、勉強の成績がよければすべてが許されてしまい、社会的モラルや責任が育たないまま大人になっていくと聞きます。
 今月の始め、玉原高原に出かけました。写真は玉原の見事なブナ林です。冬は山スキーで好きな方向に歩き回ることができます。
 今回、ブナ林から湿原に降りてきて、目を疑うような景に出くわしました。草紅葉の湿原に、木道から離れたところで若い男女が写真を撮ってはしゃいでいるのです。ぼくたちは離れた木道に立ち止まって睨みつけました。「そこに入ってはいけないんだろうが!」と思わず叫んでしまいました。彼ら彼女らはぼくらの姿に気付くと木道に戻りました。湿原の出口で休憩したぼくたちの後から姿を現した彼らは中国語を話していました。君たちは貴重な自然を守ろうという最低限のモラルを持っていないのかと注意したかったのですが、万一刃物で逆襲でもされたらと、臆してしまいました。彼らは我々に曖昧な笑みを浮かべて去っていきました。
 日本に観光に来る人々は裕福な階層に属しているのでしょう。すべてが許されるという感覚で成長してきているとしたら、日本の規範やモラルを誰が教えればいいのか、考えさせられた日でした。

 話がそれましたが、中国の子どもも日本の子どもも自分で自分の置かれる状況を選ぶことはできません。勉強漬けの毎日を選ぶか、体力や感性や人間関係を涵養する状況を選ぶか、それを選択するのは本人ではなく保護者です。岩田学園で過ごす子どもたちが生き生きとして幸福そうであること、卒園後も懐かしく思えるような日々を送っていることそれを見ると、保護者の方たちの選択と子どもたちが求めている在り方とがぴったりあっていることが確信されます。幼年少年期に充足した生活体験をした子どもたちが、その後大きく成長していくことが多くの研究で明らかになっています。
 それに関連する話ですが、この「中国メデイア‐サーチナ」を紹介してくれた知人の友だちで、東大出身の男がいて、先日亡くなったそうですが、その男は「オレには一緒にいたいと思うような友だちなんていなかった」と述懐したそうです。貧しい生涯だったなあとおもいます。そればかりではありません。そういうキャリア組が日本の政治を担い、教育を方向づけると考えるとなんとも心寒くなります。かつて中央教育審議会の会長が、「教育は全員のレベルを上げるなんて考えなくていい。必要なエリートを育てれば十分だ」と言ったことがあります。キャリア組の言いそうなことです。そういう権力にノンを突き付けて行かなければ子どもたちが可哀想だとと考えます。
 


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■ 病室の窓より逃げて秋雲に乗りたき思い山近く見ゆ

 少し身体を痛めすぎてしまいました。その原因となった嬉しい出会いがあったのです。今日はその話から。
 ぼくの主催する古典を読む会は16年前『奥の細道』から始まりました。抜粋でなく全部を読もうという方針なので、『平家物語』などは8年もかかりました。熱心なメンバーのおかげで、ぼく自身が常に新しい発見に心を踊らされています。
 そのメンバーの一人に、理系で、博士号を持っている異色な男がいます。或る時、話をする機会があり、大学の組織・権威・権力に及んだことがありました。その中でぼくの考え方に何かを感じたのでしょう、「岩田さんは〇〇を読んだりしましたか。」と聞いてきました。〇〇はぼくの青春の証しとなっている作家です。あまりに速く走りすぎて、若くして亡くなってしまいました。理系の男も同じ経験をしたようです。どの作品がいいかの話になった時、二人は別々な作品を挙げたのですが、彼が挙げた作品は、実は僕もそれがと言いたくなるものでした。何日かして、彼は「〇〇について話ができる人に逢ったのは初めてです。」と打ち明けてくれました。彼も少数派で屈折した青春を経たのでしょうか。ぼくにとってもうれしい出会いでした。
 
 2学期に入って、彼のあげた作品をもう一度読み始めました。そしてたちまち夢中になりました。どうしても睡眠時間を削ってしまうことになります。運動会前の2週間、そんな日が続きました。
 そして、運動会当日を迎え、何となく体が重いという感覚がありました。ただ、ぼくは体力には自信があるはず、これまでも同じようにやって来たという、自己暗示をかけながらシャッターを押し続けました。合計1500枚のスナップを撮りました。後半足がよたよたとなって、はずかしい姿となりました。前号に書いたように、左足の親指にマメができたことも一因ではありました。終って、テントの天幕やポールなどを、トラックの荷台で下から受け取って並べていた時、力が出なくなっていたのがわかったのでしょうか、ひとりのお父さんが見かねて、「理事長先生、私がやるよ。」と代わってくれました。「大丈夫ですよ。」という元気はもうありませんでした。

 これは、ぼくが自ら責任を負わなければいけない不摂生のたたりでした。ただ、好きな本に夢中になって睡眠時間を減らすということは、ぼくにとって決して悪徳ではなかったのです。そういう機会を持つことは、読書人としてむしろ栄誉なことだという思い、それが昔からありました。だからそれは不摂生ではなかったのです。それが今回、自らの責任として帰ってくる不摂生となったのは、ひとえに年齢によるしっぺ返しだったのだろうと思います。あの日、運動会を見に来ていたある人は、ぼくが入院したことを知って、「もうあんなに動き回る歳ではなかろうに」と諫言をくれました。ぼくの中には、前もってあんな不摂生をしていなければという思いがまだあります。

 2週間入院して帰宅したら、秋が深まっていました。ホトトギスはもう盛りを過ぎており、鉢の銀杏はま黄色に色づいていました。残ったアケビをもいで、皮をスライスし炒めて食べました。秋の味がしました。
  


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■ 秋―運動会、果実酒、そして物思わしめる季節

[運動会スナップ撮影への思い]
 運動会の前の週は秋雨前線に祟られてグラウンド練習が一日も出来ず、担任の焦燥が募りました。運動会の週になって最後の仕上げのようにグラウンドが使えました。当日も秋晴れの天気。嬉しかったです。
 開会式で園長は、「今日まで園児たちが楽しみながら意欲をもって練習できるように、先生たちは配慮してきました。練習が訓練になって運動会が嫌いにならないようにという方針できました。」とあいさつしました。園児たちは心を躍らせてこの日を迎えたことがはっきりと見てとれました。
 当日、理事長は開会式から閉会式まで、ファインダーをのぞき続けました。グラウンドでは立ったままでは見ている人たちの邪魔になるということで、何十回スクワットを強いられたでしょうか。園長に就任したころは何ということ無かったこの配慮が、78歳になった今年は少々応えました。1年に一度の姿勢、片膝立ちから立ち上がることを反復する中で、親指の裏にまめができて、痛みを気取られまいと気を使いました。
 今年心掛けたこと、特別今年だけではなかったのですが、意識的に心がけたことがありました。ご両親やお家の方からすれば、本人の表情をしっかり見たいという思いがあるでしょう。1人だけのショットはそういう思いに応えるものです。でも、今年は、二人或いは集団の中での姿をねらいました。親子競争でのお父さんお母さんと自分、手を引いてくれたお兄さんお姉さんと自分、クラスのお友だちとペアになった自分、クラスという集団の中で必死に頑張っている自分、それはいつか何年、何十年たった時に、他者(お父さんお母さんを他者と呼ぶのは失礼ではありますが)とこんなふうに関わったという証になると思ったからです。以前のこのコラムに書いたように、お父さん・お母さんと一緒のショットは、外の世界へのガードを全く放棄して、ありのままの素顔で結ばれている、それをはっきりと示している、それは考えれば当たり前のことでしょう。それでも、その当たり前をここに定着することの意味は大きなものであると思います。
 また、お友だちと何の思惑や打算をふくまない結びつきを示している表情、大人になるとそんな表情で結ばれる人間関係は稀有になります。岩田学園の教育方針の中に、「お友だちは、一緒に成長していく存在です。蹴落とすか蹴落とされるかという生存競争の中のライバルではありません。」というのがあります。いつか孤独に陥ることがあっても、人間に対する信頼感だけは失わないでいられるようにという願いが込められています。運動会でのお友だちとの写真、クラスの中で必死になっている写真。いつの日かこれらが君たちを支えてくれる日が来るかもしれない、ファインダーをのぞく理事長の心にそんな思いがありました。
 閉会式の園長のあいさつの中に、「2学期が始まってから長い日々の中、皆さんは本当によく頑張ってきました。」という一節があり、そこで担任の中に涙をぬぐう姿が見られました。長い日々の中、成長したのは園児だけではありません。先生たちもかけがえのない大切な思い出を手にしたのでした。

[秋の贈り物]
 庭の辛夷が点々と赤い実をつけて秋の日に輝いていたのが、この2・3日ひよどりに啄ばまれて消えてしまいました。慌てて、ひよどりの啄ばみ損ねて落とした実を拾ってホワイトリカーに漬け込みました。一年年後が楽しみです。わが命さきくあれ。
 柿の実がしばらく前から果物屋さんの店頭に並び、中には奈良産などと表示されていて、
   

里古りて柿の木持たぬ家もなし   芭蕉
を思い出させます。昔、婚礼の女性は柿の木を持参して婚家に植えた。自分が死んだとき、その木で荼毘に付されるように。そんな解説を読んだことがあります。自分の生涯を覚悟していた、すごい句だとおもったものです。
 我が家でもようやく柿が色づいて、運動会の代休の日に収穫しました。
   
柿食ふや遠くかなしき母の顔     石田波郷
 「かなしき」は悲しきではなく、愛しきでしょう。柿は子どもの頃を思い出させる郷愁の果物でもあります。
 本庄西幼稚園のアケビも色付いてきました。アケビは「開け実」だと教えてくれた先輩を思い出します。運動会に応援に来てくれた体育講師は、幼稚園に戻った時にみつけて「なつかしい」と呟きました。子どものころ山で食べて以来はじめてだといいます。ぼくの「どちらのご出身なの?」の問いに「岩手の北上市です。」の答え。啄木が身も世もなく恋い焦がれた故郷です。
    やはらかに柳あをめる北上の岸辺目にみゆ泣けとごとくに
    かにかくに渋民村は恋しかり思ひ出の山思ひ出の川
 頑丈そのものの体育講師の心の中に、啄木の心が流れているのでしょう。秋は物思わせる季節でもあります。


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